資本主義とは、人類とは、社会とは、人生とは、、、

日常を通じて疑問に思う事を、個人的な主観を前提に気が向くままにゆる~く綴ります

人間関係の悩みに対する対応方法(人間の性(本能)との折り合い方)

アドラーは、「人の悩みはすべて対人関係の悩みである」と言っている。

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個人的にそれは言い過ぎではないかと思う。
明日の生活もままならない場合や、健康を害している場合、対人関係の悩みなんてどこかに吹き飛んでしまう。
健常で且つ、生活に窮していないという前提条件を付ければ、アドラーの言う事は僕も正しいと思う。
僕自身、幸いなことにこの前提条件に当てはまっており、御多分に洩れず、人間関係には日々悩んでいる。
 
常々思う。何故人間関係に悩むのだろうか?いつも同じ事の繰り返しで、繰り返す度にうんざりするし、どんどん人と関わることが面倒になり臆病になる。
それは、先日の記事(http://next-link.hatenablog.com/entry/2018/04/10/202353)で書いた人間の性(さが)だから仕方がないと諦めればよいのだろうか。
 
 
僕が以前参画したとあるプロジェクトの人間関係は決して良いものではなかった
  • 常にマイルールを作り続け、それを周りに適用させることに一生懸命なPL。
  • スタンドプレーで走り続け、コミュニケーションを一切取らないPM。

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参画した際、このプロジェクトがどこに走っているのか?何をしているのか?また何をすべきなのか一切分からなかった。その上何をすればよいのか質問をすると反応すらない事が何度もあった。
この時の状況は、
  1. 仕事が何もできず、何をしたらよいのかも分からず、どんどん日数が過ぎていく「焦り」
  2. 何もしていない自分への「劣等感」や「無能感」
  3. コミュニケーションが取れない「孤独感」
 
初めての事でどう対処して良いのかわからないまま、日々悩んでいた。本当に毎朝会社に行くのが嫌で嫌でしかたがなかった。
今、振り返ってみてこの状況を打開できる方策があるのか改めて考えているが、今考えても絶望的な状況だとは思う。このブログを読んでいる方ならどうするだろうか?
 
昔の僕は、これに成すすべもなく尻尾を巻いて逃げ出した。
その頃からは多少成長したと自負してはいるが、また同じ状況に置かれたら、尻尾を巻いて真っ先に逃げるだろう(笑)
その前に多少注意深くなったから、臆病な心とそして知恵を働かせて、そういったプロジェクトには近寄らないかもしれないが、仮に逃げずに向き合う事を選んだなら、以下の手順で立ち向かうと思う。
 
ステップ1
自分でドライブ(コントロール)出来るものがあるか考える
ステップ2
ドライブできるものの改善策を考える
 
ステップ1に照らすと、「3.コミュニケーションが取れない」は、相手があることでドライブすることは難しい。但し、1.と2.の「焦り」と「劣等感」「無能感」は、自分の解釈次第なのでどうにかなりそうだ。
 
次にステップ2に移ると、まず1.の「焦り」に対する改善策を考えてみよう。
これは、当時僕が焦る必要がそもそもあったのだろうか?僕はPMでもなければPLでも無かった。プロジェクトが遅延しようが、失敗しようが、極端な話をすると放っておいても良いことだ。
2.の「無能感」「劣等感」はどうだろう?これも1.と同じで放っておいても問題ない。
 
今考えると、ほとんど問題が無いように思われるし、これに対して気を揉む必要もさらさらないと思われる。では昔の僕は真面目で誠実だったから思い悩んでしまったのだろうか?それも多少なりともあると思うが、
 
私はそれだけではないと思う。これも動物の本能から生み出される悩みだと考える。
群れを成す動物は、群れから出されると生きてはいけない。(長生きはできない)
群れにいる為には、群れに貢献し、群れのボスから信頼される必要がある。

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ただ、このプロジェクトという群れの中では、群れに貢献もできず、群れのボスとのコミュニケーションすら取れない状況に陥っていたため、僕は酷く悩み苦しんだんだと思う。
この文明的に発展し、群れからはぐれても生きていくことは全くもって可能で且つ、憲法ですら守られている権利であったとしても尚、僕は動物としての本能から解放されていなかったという事だし、今もまだそうだと思う。
 
では、どうすれば良いのだろうか?仮に逃げずに向き合うとした場合。
 
 
まずは、受け入れることから始める。「自分は群れを意識し、そして群れからはみ出されたくないと強く願っている」と。そのうえで、群れの定義を変えてみる。
この小さなプロジェクトを「群れ」と捉えるのではなく、勤めている会社を「群れ」と捉える。
そうすると、そのプロジェクトに参画しているだけで仮に利益が仮に生まれているとすると、群れに貢献していることになるし、群れのボスも事業部長や社長になり、障害がなくなる可能性もある。
これにより、自分の本能と折り合いが付けれる可能性がある。そして本能と折り合いが付けれれば、その群れにフォーカスが移ると共に、現状の群れに対するプライオリティ(現状の群れへの固執)が下がっていき、結果ストレスは軽減されると考える。

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尚、会社を「群れ」と捉えてもまだ、動物としての本能と折り合いがつかないのであれば、今度は、自分が所属している業界を「群れ」ととらえる。または家族を「群れ」ととらえる。または、世界を「群れ」ととらえる。
 
群れの解釈を変えていくことで、この広い地球に置いて、いつかは自分の本能と折り合いが付けれる「群れ」が存在すると僕は信じている。